大学に入学した18歳から29歳までの12年間、塾の講師として働いていました。
大人になってから、因数分解だの古文の知識だのを使うことなんて、まずありません。ですが、
勉強をして成績を伸ばしていくことは、「目標の設定と達成」のプロセスを子どもたちに学ばせてくれます。
5,000人以上の生徒の指導を行い、「第一志望合格」という目標を達成させてきた経験は、今も確実にビジネスに生きています。
僕を『目標達成のプロ』にしてくれたのは、生徒達でした。
野球で挫折した僕は、新たな目標として「学校の先生」になることを決意しました。
ですが、全く前向きな動機ではなく、
「自分が高校野球で通用しなかったのは、中学校までの指導者のレベルが低かったからだ」という逆恨みがきっかけでした。
「いい加減な指導を受けて、自分のように苦しむ野球少年をもう生み出したくない」と考え、進学した教育大学でしたが、大学で教育について学び、塾講師の仕事を通じて子どもたちと接するうちに、「自分の挫折をムダにしないよう、真剣に人と向き合って、この経験を伝えていこう」と思えるようになりました。
その思いが強くなりすぎて、学校という枠からはハミ出してしまいましたが(笑)、「夢を叶えるサポートをしたい」という理念がこの頃に生まれたことは確かです。
いくら成績が良くても、遊びたい盛りの生徒達の意識を勉強に向け続けさせることはカンタンではありません。
どれだけわかりやすく、噛み砕いた説明をしたとしても聴く側の耳が開いていなければ、その記憶に残らないことを嫌と言うほど思い知りました。
実はそれって、子どもも大人も同じ。学ぶことを「楽しい」と感じてもらえなければ、どれだけ耳障りの良いことを言っても頭に残りません。僕の講演を聞いて、「楽しかった!」と言ってくださる方が多いのは、生徒達を飽きさせないように工夫した経験が生かされているからだと思います。
父は早稲田大学を蹴って中央大学に進学した後、道庁の職員に。兄は北海道大学を卒業後に同じく道庁の職員に。妹も北海道大学を卒業しています。いわゆる「良い大学を出て、公務員になって…」というカタい家庭で育ちました。
その影響か、僕も教員という公務員の道を進むことになると思っていたのですが、兄妹で僕だけはどうしてもその生き方を受け入れられなくなってしまい、独立という道を選んびました。叔父が事業で失敗して、大きな借金を抱えたという過去もあって、特に母が独立には難色を示したことを覚えています。ですが、そういった環境で育ったからこそ、自分の「独立したいという意志」はホンモノだったんだと確信が持てました。周りに流されたり、無理に誰かのために生きたりするのではなく、自分を貫いた先に幸福があると気づくことができました。心配をかけてしまった両親には、健在のうちに何か恩返しをしたいですね。
当時、巨人の4番だった原辰徳さんに憧れて、小学校3年生から 野球を始めました。小学校時代は強豪の少年野球チームで レギュラーになり、中学校時代はキャプテンを務めました。 「自分ならプロ野球選手になれる!」そう信じて、友人と遊ぶ時間すら 取らず、勉強以外の全ての時間をトレーニングに充てるストイックな 中学生活を送りました。しかし、在学中に甲子園にも出場した強豪校では 全く力が通用せず、自分の全てを懸けた野球で結果を出せなかったことは 心に深い傷を残しました。今でも、人生で一番悔しかったのは、 この時だと断言できます。その悔しさが、今でも僕を動かす原動力になっています。
昔は出不精で、「移動時間なんてムダで仕方ない」と考えていたんですが、師匠にくっついて全国&アジア諸国を
あちこち周っているうちに、たくさんの『初めて』に巡り会える「旅」がどんどん好きになっていきました。
どこでも寝られる僕は、体力的にも移動が全く苦にならないので、仕事をしながら全国各地に行けるなんて最高だと今は思っています。拠点は札幌ですが、仕事があればどこにでも行きたいですね。
中学生の頃は、「学年でトップクラスの成績」「野球部のキャプテン」 「一つ下の学年にファンクラブ」と、我ながらマンガのような 生活を送っていました(笑)。しかし、「結果こそが全て」と偏った 考え方を持っていた僕は、成績の悪い人や運動がニガテな人を 見下していて、ロクに会話もしませんでした。そのくせ、 自分が周りから注目されないのが嫌で、クラスの人気者をずっと 嫉妬と憧れの混ざった視線で見ていたんです。 今思うと、彼が僕のコミュニケーションの先生でした。 「なぜ、自分と違って、彼は人に好かれるのか?」ずっと密かに 観察をしていたおかげで、高校に入ってからは一気に友人が増えました。 多感な中学生の頃に、人の心理を真剣に研究したことが、相手の心理を 読み取る能力を成長させてくれました。
「人に教えること」をずっと仕事にしてきた僕は、相手の人生を 少しでもプラスの方向に変える方法を研究し続けてきました。 「千田さんのおかげで、お客様から感謝の言葉をもらえました!」 という、クライアントからの喜びの声が、僕にとっての働く意味です。 一人でも多くの方に、その喜びを感じて欲しい。そのために、今日も 僕の持ちうるスキルと経験の全てを伝えさせて頂きます!